それは午前3時半のことだった。

ブォォォォッ... という苦し気な鳴き声が3回続いたあと、静かになった。

喉をかき切られた牛の最期だった。

家畜をみずからの手で殺めることにより命のありがたみを感じる犠牲祭。荘厳なイベントの始まりである。

だが異教徒の私は、牛の声に目覚めたあとは胸が苦しくなり、眠るどころではなくなった。

奇妙な夢を見ながら半覚半睡。ようやく目覚めたのはふだんより3時間ほど遅い時刻だった。

日本でいえば盆や正月休みに匹敵する祝日であるため、アメリカ政府の出先機関もお休み。

だが楽しい休日という気分にはなりにくいスタートだ。


カーテンの合間から見下ろすと、アパートの管理人やガードマンたちが牛の血に染まった道路に水を撒いている。

周囲を見通すことができないが、他のアパートや邸宅も似たような状態だろう。

人びとは赤い水を箒やブラシで側溝へ流し込んではいるが、舗装が割れて土がむきだしの部分は赤く染まったまま。

住民の大半が外国人であるこの地区では、文句が出ないよう配慮しているのに違いない。それ以外のダッカ市内の状況に興味はあるが、なにか処理しきれないトラウマをかかえることになりそうで、外出する気にならない。

もとより宗教的なテンションが高まる犠牲祭の期間中は、外国人を狙うテロの可能性が高いといって日本大使館も不要不急の外出を勧めていない。


我がアパートでの犠牲祭のディテールを少し追加するなら、この日のために買われてきた牛は2頭、ヤギも4~5頭いた。

妻が休暇前の最後の勤務から帰宅したとき、アパート前の路上に牛がつながれ、アパート内部の駐車場(下駄ばきビルの地上部分)にヤギがつながれていたという。

ひとさまの宗教儀式にとやかく言うものではないが、私たちのクルマの目と鼻の先でヤギをばらすのはやめてくれ... というのが本音であった。

公共空間である路上はさておき、家賃を払って住んでいる住居の敷地内で「それ」はきついよと大家に掛け合う権利があるのかないのか知らないけれど。


そんなこんなが去来する胸の内だったが、生来の血コワガリである私は部屋から出て実態を直視しにいくことなく、我が家でのイベントの準備にとりかかった。

妻の同僚が数人やってきてお茶会をすることになっていた。

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   このあと小エビのカナッペなど登場

巨大なダイニングテーブルにお茶とつまみを展開し、セルフサービスしてもらうアメリカン(?)方式。

なんといっても3.5リットル入り、日本が世界に誇る象印の湯沸しポットあればこそ運営サイドとしても安心(ちなみにアメリカで象印はクルマでいえばベンツに相当するブランド)


午前11時をすぎてゲストが到着しはじめた。もう少し早く来てもらってもよかったのだが、道路の洗浄が終わるのは11時ころという情報を重視しての時刻設定だった。

ゲストの面々は、自宅を出てからここまで何を見てきたのか知らないが、血なまぐさいだのといって騒ぐことは当地の人びとへの失礼にもあたるため、皆さらりと触れるだけだった。

もしかしたらアメリカ人はこういうことについて(他国人が想像するより)ずっとセンシティブかもしれない。

異文化の融合がダイナミズムを生むと同時に、異文化の衝突や差別が常に課題となってきた国だから。

まあトランプとその支持者のような人たちは別としてって話だが。


お茶会は、しゃべりのスピードが異様に早い2名の発言内容が半分ほどしか理解できなかったほかは、まずまず楽しかった。

女性のひとりは前夜にアメリカから到着した婚約者を同伴しており、弁護士で国際的な公的金融機関に勤務する彼(ゆえにダッカに移ってくることはない)と、今後どのようにして家庭をつくるのか、一番興味あるところだが深遠な課題なだけに尋ねることなどモッテノホカ。

別の女性は、幼いころイヌに大けがを負わされることが2度あり、ワンコがダメなひとになってしまった。コーギーだけは短足なだけに飛びついてこないから可愛いと言っていたが、コーギーも低めの机なら平気で飛び乗るよ?飼ってから「やっぱりイヤ」ってことにならぬよう慎重にねなどと老爺心まるだしの傍聴者。


という犠牲祭祝日の過ごし方モデルケース異教徒編。

実はこう見えてもあんまり書きたくなかったのだが、イスラム世界での暮らしの記録として。

(「ヤギの最期」を耳にしなかったことは多少の救いになった)


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